高齢化などを背景に、救急車の出動件数は年々増加傾向にある。総務省によると、2018年は660万5166件、搬送人員は596万202人でいずれも過去最多を更新した。
救急救命活動は、文字通り1分1秒を争う。心疾患や脳疾患など、治療開始の遅れが命を左右する病気が少なくない。しかし、救急車が現場にすぐ駆けつけても、受け入れ先の病院がなかなか決まらないまま時間が過ぎてしまったり、いったん搬送されたものの適切な治療ができないため別の病院に転送されるといった「たらい回し」が社会問題化している。病院側も、専門医の不在や入院ベッドの不足といった理由から、救急患者の受け入れを断わざるをえない状況にあるところが少なくない。救急医療の現場では、いかに効率的に患者を適切な病院まで搬送するかが重要なテーマとなっているのだ。
そうしたなか、前橋市とNTTドコモは5Gによる救急搬送の高度化に取り組んでおり、自治体や医療機関の注目を集めている。
5Gで現場でより正しい診断群馬県中南部に位置する前橋市は、人口約34万人の中核市。他の地方都市と同様、少子高齢化が進んでおり、65歳以上が総人口の約3分の1を占める。「高齢化の進展とともに、救急車の出動件数は右肩上がりに増え続けている」と前橋市消防局 警防課 救急救命係 副主幹の田中拓氏は話す。
前橋市は以前から「救わなくてはならない命は必ず救う」という考えのもと充実した救急医療体制を構築してきた。前橋赤十字病院と群馬大学医学部附属病院の2院が三次救急医療機関(生命に危険が及ぶような重症・重篤患者に対応する救急医療機関)に指定されているほか、救急車の台数も多い。ドクターカーの配備や群馬県が運航するドクターヘリの基地病院も同市内に存在している。
(左から)前橋市 消防局 警防課 救急救命係 副主幹の田中拓氏、
前橋市 政策部 情報政策担当部長の松田圭太氏
山本龍市長は2012年の就任以来、救急医療に熱心に取り組んでおり、救急搬送時間の短縮化を進めている。119番通報から医療機関収容までの救急搬送時間は29.6分と、全国平均の39.3分を大きく上回る。現在は全国トップの福岡県久留米市の26.3分を目標に、さらなる短縮を目指しているという。
前橋市は2018年5月にドコモとICTを活用したまちづくり推進に関する連携協定を締結。その一環として今年2月、5Gを活用した救急医療の実証実験を行った。
図表 実証実験のシステム構成
実証実験では、前橋市役所内に模擬の高度救命センターを設置。市役所と救急車、ドクターカーの間を28GHz帯の5Gネットワークで接続する通信環境を構築した。
50代男性がクルマとの接触事故で負傷したとの想定で救急車が現場に急行。通報を受けて病院を出発したドクターカーと「ドッキングポイント」(合流地点)で落ち合い、患者をドクターカーに移し、病院搬送前に行える診察と処置を実施した。
ドクターカーとは一般的に、医療機器を搭載し、医師や看護師が同乗したクルマを指す。今回はドコモの電波測定車をドクターカーに見立て、内部に12誘導心電図やエコー(超音波診断装置)、血圧計、脈拍計などの医療機器、接写カメラと俯瞰カメラ、40インチの大型ディスプレイを設置した。ディスプレイには医療機器の画像やバイタルデータ、救急車から送られてくる映像が映し出される仕組みだ。
救急車にも血圧計や心電図モニター、接写カメラを搭載しており、バイタルデータを計測したり、患者の顔色や患部の様子を撮影できる。
救急車やドクターカーから送られてくる情報はいずれも4K映像で、5Gを使って3者間で送受信した。
「5Gであれば、12誘導心電図やエコーの画像や救急車内の様子を写した俯瞰映像などの大容量データもバイタルデータと一緒にリアルタイムに送受信できることが確認された」とNTTドコモ 5Gイノベーション推進室 5G無線技術研究グループ 担当部長の奥村幸彦氏は説明する。
NTTドコモ 5Gイノベーション推進室 5G無線技術研究グループ 担当部長 奥村幸彦氏
救命センターにはディスプレイを2台設置し、12誘導心電図やエコーの画像を5GとLTEで受信した場合の比較も行った。それによると、LTEの場合、5Gと比べると画像が不鮮明で、若干遅延も発生した。医師からは「5Gであれば現場においてより正しい診断を行うための画像品質が得られる」との感想が聞かれたという。
エコーを5Gで伝送した画像(上)は、LTE(下)より鮮明に表示された
けがの場合も、LTEでは傷口がのっぺり映ってしまうが、5Gなら傷口の深さがどの程度かが瞬時に把握でき、例えば、動脈が切れているかどうかまで判別することも可能だ。傷が深く動脈が切れていると「動脈再建」という高度な手術が必要になり、対応可能な病院は限られるが、あらかじめ適切な病院を選択できる。
救急車と医療機関との間は現状、音声によるやり取りが中心だ。実証実験では、高度救命センターの医師は救急車やドクターカーから送られてくる複数の画像など多岐にわたる情報を基に指示を出すことができた。このため、「高精細な映像で、まるで診療室で目の前に患者がいるように様子が分かる」「リアルタイムに指示を出すことができる」と好評だったという。