【音声ARPUとデータARPUが逆転】大転換にキャリアはどう対応すべきか(後編)

前編では音声ARPUとデータARPUの逆転がなぜキャリアにとって「時代の大転換」となるかを説明した。後編では、この大転換のなか成長を図っていくための2つの方策を提言する。

【提言その1】 これまでの価値観を覆す

これまでキャリア各社による尽力は、携帯電話ユーザーの拡大と利用シーンの多様化に大きく貢献してきた。これは紛れもない事実だ。しかしながら、成熟産業の定めながら、これまでマーケットに対して講じた施策の累積結果は、キャリア各社の売上減少、ARPUの低下をもたらし、海外市場以外に成長余地を見出せない状況となっている。

では、1点目の大きな戦略的方向性として、逆張りの思想に基づいて、これまで重要視してきた考え方を根本的に逆転するという考え方の妥当性を議論していきたい。この方向性には、2つの着眼点があると考えられる。

失われた価値を取り戻す
主張を正当に裏付ける客観的データが存在しなくて恐縮だが、音声ARPUの下落要因の1つとして、メールによるコミュニケーションの代替が挙げられる。一昔前であれば、ARPUの下落は通信利用をそれほど必要としないユーザー層にまで手が届いたことによる総平均値の低下と判断できたが、携帯電話加入者数が1億を突破した現在における音声ARPUの下落は、確実に音声通話ニーズが減ってきていることの現われと解釈できる。このことは、コミュニケーションスタイルの確実な変化として表現できる。

ビジネスの場に初めて電子メールが登場した当時のことを思い出して頂きたい。従来における、直接的な対人コミュニケーション以外における情報伝達手段の主役は、間違いなく電話による音声通話であったはずだ。直接会って話ができない場合は、必ず電話で話をすることでお互いの意思疎通を確立させ、目的を果たしてきた。

電子メールが登場した直後は、メールでコンタクトを取ること自体が、ある種“非常識”のような風潮があり、メール文の冒頭に、「メールにて大変恐縮ですが…」といったことわり書きをした経験がある方も多いと思われる。

では、現在はどうであろうか。電話は本来、コミュニケーションの発信元の都合が優先されて確立されるコミュニケーションであるが、メールの台頭・一般化により、コミュニケーションの受け手の都合が尊重される風潮が形成されていると考えられる。格別な緊急性を必要としないコミュニケーションはメールで実施するというのが、今の常識感ではなかろうか。

また、ありとあらゆるサービスやコンテンツが電子化されることにより、人々の暮らしは、音声通話の機会だけでなく、対面そのものの機会が少なくなってきている印象を受ける。相手に資料を届ける、相手に写真を見せるといった日常的な何気ないシーンが、ネットワークを介して瞬時に行われてしまうからだ。

これも確固たる定量データが存在しないため恐縮だが、本稿の執筆にあたり、数多くの職業、世代の方々にインタビューを実施したが、ほぼ全員が以前と比べて直接的な対人機会が減ったと感じていた。

月刊テレコミュニケーション2010年3月号から一部再編集のうえ転載(記事の内容は雑誌掲載当時のもので、現在では異なる場合があります)

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松岡良和(まつおか・よしかず)

経営コンサルティングファーム、アーサー・D・リトルのTIME(Telecom/IT/Media /Electronics)プラクティスの日本代表。主な担当領域は、通信、IT、金融業界における事業戦略策定、サービス/ビジネスモデル開発、組織/人事戦略策定に関するコンサルティング

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