ブレイン(脳)とテクノロジーの融合により、人間の認知や感覚、運動意図を理解し、脳機能や身体機能を改善・補完するブレインテック。AIや機械学習といった技術の進化により、従来と比べて容易に脳波を測定・解析できるようになったことを背景に、ディープテックの中でも今後への期待が高まっている分野の1つだ。
国内では、従来にはない大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発を推進する大型研究プログラム「内閣府ムーンショット型研究開発事業」のプロジェクトの1つにブレインテックは採択され、2023年7月にその有効性と安全性に関する科学的な根拠をまとめた「ブレインテック・エビデンスブック」が公開された。
ブレインテックの中で特に研究が進んでいるのが、BMI(ブレインマシンインターフェース)だ。脳と機械を接続する技術で、脳波を読み取り、その指示で機械を動かしたり、目や耳などの器官を介さず機械から脳に情報を伝えることを可能にする。
例えば、イーロン・マスク氏が率いるニューラルリンク社は今年1月、事故で四肢がマヒした治験者の脳にチップを埋め込み、ノートPCなどを脳で操作する臨床実験を開始した。
このように脳にチップなどを埋め込む方法は侵襲型と呼ばれ、より高精度な情報を取得できる反面、外科手術による負担や脳損傷リスクがある。これに対し、fMRIや脳波計は間接的に計測するため非侵襲型と呼ばれ、侵襲型よりも精度は低いが、安全性は高く、医療以外にヘルスケアやエンターテインメントなどにも応用可能だ。
脳波のモニタリングで未病対策
東京工業大学 情報理工学院の吉村奈津江教授は、頭皮脳波計など非侵襲型で記録した脳活動信号から脳内の神経活動を機械学習により推定し、意思や運動に関する脳の情報を抽出する研究に取り組んでいる。
東京工業大学 情報理工学院 吉村奈津江教授
研究テーマの1つに、ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の意思伝達システムがある。
ALSは、脳内の運動機能に関係する神経細胞に障害が出ることで、脳の指令が筋肉に伝わらなくなり、手や足、口などを動かす機能が衰えてくる難病だ。眼球の運動に必要な機能は侵されにくいため、ALS患者のコミュニケーション手段として目の動きで文字入力する機器が用いられている。しかし、さらに症状が進んで身体が完全にマヒして動かせない完全閉じ込め症候群(TLS)になると、眼球運動を含むすべての運動が不可能となってしまう。認知機能は正常であるため、必要なのは運動を介さないコミュニケーション手段だ。
吉村教授が取り組んでいる研究は、次のようなものだ。
ALS患者の耳の後ろに電極を取り付け、身体の平衡感覚に関係する前庭に電気刺激を与える手法を用いて、「はい」と回答するときは右耳側、「いいえ」と回答するときは左耳側へ身体を傾かせる刺激を繰り返す。前庭への電気刺激と「はい」「いいえ」の回答を関連付けることで、数10分後には電気刺激を与えなくても「はい」「いいえ」の回答で身体が傾く感覚が誘発され、その感覚に関連する脳活動が含まれた脳波から「はい」「いいえ」を約8割の精度で推定することができるという。
東京工業大学・吉村奈津江教授の研究室では、脳波を活用したALS患者の意思伝達システムなどを研究している
実用化までには、より精度を高める必要があるが、「研究の過程で患者さんとその家族と関わる中で、コミュニケーションの大切さを痛感した。どこまでできるか分からないが、やる価値はある」と強調する。
吉村教授は、脳卒中などによる失語症患者の脳機能向上にも企業や医師と共同で取り組んでいる。
言語機能は、頭の外部から脳に微弱な電気を流す経頭蓋直流電気刺激(tDCS)により向上することがこれまでの研究で明らかになっているが、脳の働きは人によって異なり、tDCSの効果も個人差がある。そこで吉村教授は、脳波を機械学習で解析することで、個人ごとの言語機能に関する脳領域を特定する技術を開発し、現在、効果検証を行なっている。
非侵襲型によるBMIは、詳細な情報抽出が困難な一方で、そのリスクの少なさから、健常者の健康管理にも応用したいというのが、吉村教授の目標だ。「もっと安価かつ高精度な脳波計が出てくることも必要だが、体温や血圧を測るように脳波を手軽にモニタリングして、鬱など精神疾患や高齢者の運動機能低下の予兆など心身の不調をいち早く見つけられるようにすることで、健康寿命の延伸に貢献したい」という。