――日本で5Gの商用サービスが始まり、1年半が経ちました。5Gの最大の特徴の1つであるミリ波5Gの実現に大きく寄与した阪口先生から、5Gの現状はどう見えていますか。
阪口 日本のキャリアと政府が、これほど早く28GHz帯を推進してくれるとは予想していないところがありましたので、期待以上に早く立ち上がったというのが私の印象です。
韓国は、世界に先駆けて5Gサービスを開始しましたが、2019年、2020年はミリ波に手を付けられませんでした。今、ようやく重い腰を上げようとしているところだと思います。
いち早くミリ波で5Gを始めたアメリカも、あれは「プレ5G」を用いたFWAのサービスであって、ミリ波を用いたアクセスサービスは本格的には実施していなかったと思います。
対して、日本は最初からミリ波を立ち上げたのですから立派です。
――私などは「5G=ミリ波」という期待が強すぎたせいか、「なかなか整備が進まない」という印象も持っていたのですが、世界的に見ると日本は進んでいるのですね。
阪口 確かに東京オリンピック・パラリンピックが延期され、さらに無観客となったため、5Gの“見せどころ”はなくなってしまいました。私自身もそうですが、たくさんの方がいろいろ仕込んでいたのに、結局何もできませんでした。コロナが始まる前まで非常に順調に進んでいたのが、コロナの影響でほぼ全ストップのような状況になり、もう1回やり直しというのが現状です。
とはいえ、商用化、実用化という意味では、日本のキャリアは先頭を走っていると考えています。
ミリ波5G誕生の背景――今でこそミリ波は5Gに必須の要素と当たり前のように考えられていますが、5Gの議論が始まった当初はそうではありませんでした。阪口先生の提案が重要な契機となったわけですが、その経緯を聞かせてください。
阪口 もともとミリ波をアクセスネットワークに使うための研究は日本が先行していて、2000年くらいの段階で基本的な試作はできていました。特に引っ張っておられたのが東北大学の加藤修三先生で、ベンダーも研究開発を熱心に進めていました。ところが、そこにリーマンショックが起き、ミリ波の研究を続けられないという状況に直面します。
このとき、「ミリ波の研究の出口を見出さないと、ミリ波業界自体が沈んでしまう。たくさんの研究者が職を失ってしまう」と動かれた1人が、今も総務省の様々な委員会をリードされている元東工大の安藤真先生です。
安藤先生の依頼を受け、「セルラーをミリ波の出口にできないか」と取り組み始めたのが、私がミリ波の研究を開始するきっかけでした。
かつて、携帯電話には「ミリ波は絶対に入らない」と考えられてきました。私自身もミリ波の研究を始めるまでは、実は賛成ではありませんでした。5Gにミリ波を使うアイデアを私が2012年に発表すると、日本のキャリア全社が反対しました。
――阪口先生は2012年、ミリ波のスモールセルでデータプレーン、既存周波数のマクロセルで制御プレーンという、異なる周波数・セルを組み合わせるヘテロジニアスネットワークのコンセプトを考えだし、ミリ波にセルラーへの出口を開きます。5Gのベースアーキテクチャとして採用された考え方ですが、すぐに受け容れられたわけではなかったのですね。
阪口 それで「MiWEBA(Millimetre-Wave Evolution for Backhaul and Access)」という日欧連携のプロジェクトを2013年に立ち上げました。これ以前、ミリ波は5Gの有力候補には挙がっておらず、初めて「ミリ波で5Gを実現しましょう」と訴えたプロジェクトです。
ミリ波を採用することで1000倍という圧倒的なパフォーマンス向上を実現できることを理論的に証明したところ、インテルやファーウェイ、サムスンなど賛同してくれる機関が海外から現れ、「これはいけるから、まず国連に持って行こう」とサジェスチョンしてくれました。それで一緒に推進し、WRC-15(2015年世界無線通信会議)で、セルラーにミリ波を使うことがITU-R(国連の無線通信部門)で初めて承認されます。これが、私が行った一番大きな貢献だと思います。そしてWRC-19で5Gの周波数が正式決定して今に至るというのが、ミリ波5Gの歴史です。