――IEEEのComputer Societyの2025年会長に選出されました。
鷲﨑 米国に本部を置くIEEEは、電気、電子、情報などに関する学術研究団体です。他の分野を見渡しても世界最大級と言っていい学会であり、IEEEの中には電力、通信など様々な技術分野を扱う約40のソサエティがあります。「学会の中の学会」のようなものですが、Computer SocietyはIEEEにおいて最も大きなソサエティであり、コンピューティングと情報処理に関する研究や教育、さらには標準化などを含めた社会展開までを扱っています。
――IEEE Computer Societyは様々な重要テーマに取り組んでいると思いますが、なかでも重視されていることは何でしょうか。
鷲﨑 それは社会課題の解決であることに間違いありません。例えば気候変動をはじめとした持続的社会の実現が挙げられます。コンピューティングそのもののグリーン化と、コンピューティングを活用した社会のグリーン化の両方を加速させていくことが、IEEE Computer Societyの重要なミッションの1つとなっています。
そうした社会課題の解決を推進していくにあたって、私が強く意識していることはクロスディシプリン、さらにはトランスディシプリンです。ハードウェアやソフトウェア、通信といったようにディシプリン(専門領域)に分けてではなく、ディシプリンを組み合わせた、あるいはディシプリンを超えた取り組みが、複雑に問題が絡み合う社会課題の解決には欠かせないからです。
気候変動への取り組み1つをとっても、ハードウェア、ソフトウェア、AI、通信、エネルギー、社会との関係など、いろいろな領域を融合的にクロスして見ていかなければなりません。
――サステナビリティな社会の実現に向けて、現実世界の状況をサイバー空間で分析・フィードバックして最適化を図るCPS(サイバーフィジカルシステム)などの検討が進んでいます。CPSのようなシステムは自ずと複雑化・大規模化していくかと思いますが、システム障害が発生した際の影響も今まで以上に甚大です。システムの品質、信頼性、開発・運用の効率をどう担保していくかが一層重要になっていきますが、鷲﨑先生の専門であるソフトウェア工学は、まさにこうしたことを扱う学問ですね。CPS時代、システムの開発・運用はどう変わっていくべきでしょうか。
鷲﨑 私の見立ては2つあります。
1つは不確実性を許容できる、あるいは不確実性を前提とした品質保証の必要性です。
例えば広義のIoTシステムではAI/機械学習が基本要素の1つとなっていますが、それは不確実なことを扱うからです。逆に言うと、不確実だからAI/機械学習が役立つのであって、不確実性がなければルールベースで決定的に処理すればいいわけです。
しかし、自動運転のように、不確実性に伴う不具合が許されない側面を持つクリティカルなシステムもあります。こうしたシステムには、明確に検証可能な形で、決定的なルールを定めておかなければならない領域があります。
つまり、これからは不確実で非決定的なものと、決定的なルールベースのものをきちんと組み合わせていくことが必要です。そうした組み合わせは、不具合や問題の影響伝搬を防ぐモジュール化がきちんとなされていてこそ成立します。そうした従来からの設計の原則と、不確実な時代の考え方とを併用したアーキテクチャの研究が今後重要になっていきます。
もう1つは、そのためのプロセスやマネジメントは、ますますアジャイルになっていく必要があるということです。問題をいかに早くビジブルにしていくか、そして問題を他になるべく影響しない形でいかに素早く修正していくかが大切です。
長時間かけて、決めた通りに硬直的に開発し、最後の最後に世に出すという時代ではもうありません。俊敏かつ柔軟に開発し、フェイルファストで核となる価値を世に早く出し、フィードバックを受けながら小刻みに変えていく。アジャイルは、システムのあらゆる領域において重要なキーワードです。
――学術の世界では、どんな取り組みが行われているのですか。
鷲﨑 ソフトウェア工学においては、ソフトウェアの開発、検証、効率化、マネジメントなどのやり方について、中立的な学会で知識の基盤を整備し、それに基づいて人材育成や資格認定等を積み重ねていくことが重要です。その基盤となるソフトウェア工学の国際的な知識体系として、SWEBOK Guide(The Guide to the Software Engineering Body of Knowledge)があります。私はIEEE Computer Societyで、SWEBOK Guideの約10年振りの大改訂を最近リードしたのですが、ポイントの1つがアジャイルの考え方を全般にしっかり組み入れることでした。また、IoTシステムが代表的ですが、複雑なシステムは今後ますます増え、外部と常時つながりアップデートされるシステムも当たり前になっています。そこでシステムの骨格となるアーキテクチャや、システムの安全を守るセキュリティについての知識領域も特に拡充させています。