フィジカルAIのネットワーク要件として、まず思い浮かぶのは低遅延だ。
しかし、ソラコム テクノロジー・エバンジェリストの松下享平氏は「システム全体の応答時間で見ると、通信遅延が占める割合は必ずしも大きくない」と話す。
それは、通信よりもAIの推論に要する時間の方が支配的になり得るからだ。クラウド上のGPUサーバーにおいて、推論に2000ミリ秒程度を要するケースを考えてみる。人間が遅延に違和感を覚え始める目安が100ミリ秒とされることを踏まえると、ネットワーク遅延を短くしても、推論処理が遅ければ全体の応答時間は大きく変わらないことになる。
この関係を示したのが図表1だ。クラウド上で推論する場合、通信時間と推論時間を合わせた応答時間は約2.1秒となる。では、AI処理をローカル側で行えば解決するのか。ネットワーク遅延は間違いなく短縮するが、クラウドで約2秒かけて実行している推論を、エッジ側でも同等以下の時間と現実的なコストで実現できるのか。次に問われるのは、この点だ。AIの実行場所(計算資源)を近づけても、推論処理そのものが遅ければ、全体の応答時間は十分に短くならない。
図表1 全体を見たアーキテクチャ設計の必要性

人がロボットを遠隔操作するケースでは、“100ミリ秒”の遅延さえクリアできればすべての用途に対応できるというわけではない。NTTドコモ モバイルイノベーションテック部 ユースケース協創担当 担当部長の森広芳文氏は、「どんな要件が必要かはサービス依存」と指摘する。
例えば、日本外科学会による遠隔手術支援のロボットに関するガイドラインでは、100ミリ秒未満のRTT(Round Trip Time、往復遅延時間)が求められるという。ロボットが対象物に触れた際の反力を操作者側に返す「力覚フィードバック」を伴う遠隔制御では、さらに短い数十ミリ秒未満の遅延が必要だ。操作と反力の返りにずれが生じると、細かな力加減が難しくなるためである(図表2)。
図表2 ユースケース別の許容遅延

遅延要件をより突き詰めると、ネットワークだけでは解けない領域も見えてくる。シスコシステムズ ネットワーキング事業 SE本部長の高田和夫氏は、フィジカルAIの基本動作を「検知・計画・実行のループ」と説明する。物理的な対象を動かす以上、このループは高速に回す必要があり、制御系では1ミリ秒レベルの低遅延が求められる。この水準では、衝突回避や姿勢制御のような瞬時の判断は、外部ネットワークに依存せず、ロボット本体側で担う必要がある。
従来のメカトロニクス制御は、さらに短い時間単位で動く。サーボモーターを動かす制御ループは毎秒1万回超、すなわち0.1ミリ秒程度の周期で実行されることもある。「この領域にネットワークが介在する余地は基本的にない」(シスコ IoT事業 ソリューションズエンジニアの島﨑直人氏)。

フィジカルAIの低遅延化は、通信区間の短縮だけでなく、推論処理の配置と、機械側で閉じる制御の切り分けまで含めた設計課題である。