<トラスト(信頼)>あるデジタル社会の実現を目指して挑戦する、NTTグループの上級セキュリティ人材を紹介する本連載。第10回に登場するのは、NTTデータでエグゼクティブ・セキュリティ・アナリストを務める新井悠だ。
数々のテレビ出演や講演、著書などで知られるセキュリティ業界の著名人である新井は、どのようなセキュリティ人生を歩み、今どこへ向かおうとしているのだろうか。
新井の挑戦を支えてきたのは、「自分自身を常にアップデートしていたい」という情熱だった。
「とんでもないところに来ちゃったな」
記帳を求められたNTTデータの新井悠は、そう思わざるをえなかったという。
その日、招かれていたのは、日本記者クラブの記者会見。登壇者は芳名帳に記帳するのが慣例となっているが、ページをめくると目に飛び込んできたのは、大谷翔平をはじめとした錚々たる人物の直筆署名だった。
日本を代表するサイバーセキュリティの専門家の1人として、最新動向を解説するために呼ばれた新井。自身のサインと一緒に記したのは、高校生の頃から好きだった「独立自尊」という言葉だった。
「自分自身をアップデートしたいと常に思っているんです。自分の人生を決めるのは自分自身。世間の評価などではなく、自分が納得できるかで人生は決まってくると思っていて、それで独立自尊という言葉をずっと大切にしてきました」
新卒でセキュリティ業界に飛び込んで早20年以上。もっと「とんでもないところ」へたどり着くため、新井は自分自身のアップデートに挑戦し続けてきた。
「セキュリティホールを突いたんだ」
国内インターネットユーザーの数がまだ1000万人にも達していなかった1990年代後半。大学生だった新井は、いち早くインターネットにハマっていた。あるチャットルームに入り浸っていたが、新井ら常連ユーザーをいつもうんざりさせていたのが、無関係な書き込みなどを繰り返す“荒らし”の存在だった。
しかしある日、「もう大丈夫だよ」と1人が書き込んだ。すると荒らしの書き込みがピタリと止んだ。まるで魔法のようだった。その理由をチャットで質問した新井は、このときセキュリティホールという言葉を初めて知る。
「詳しくは教えてもらえなかったので、それで自分で調べ始めたのが入口でした」
ただ、サイバーセキュリティを仕事にしようとまでは考えていなかったという。「アパレル業界など、まったく別の就職先を考えていました。しかし当時は就職氷河期。一般企業の多くが、採用の門戸を閉ざしており、ITの世界なら就職口があるかも、とサイバーセキュリティに取り組んでいる会社を探して見つけたのが、最初に就職した会社でした」
新井が新卒で入社したのは、サイバーセキュリティ専業のインテグレーター。当時はまだ200名ほどの規模で、しかもそのうち約30名が新井と同じ新入社員だったというが、現在では連結の従業員数が2000名を超えている。まさに伸び盛りの企業だった。
「30名の同期は本当に優秀な人ばかりで、僕なんか下から数えた方が早いくらい。周りに刺激を受けて、負けずに頑張ろうという気持ちでいました」
そう振り返る新井は、上司の次の言葉をきっかけにして頭角を現し出した。「お前、体力に自信はあるか。夜勤もできるか」。学生時代、夜間警備のアルバイトをしていたという新井は「そうですね。夜勤もできますよ」と答える。
「じゃあ、お前で決定」。そう言われて与えられた仕事は、Webサイトの監視業務。政府主導のイベントのWebサイトを監視するという重要な仕事だったのだが、「ところが当時は攻撃が全然来ないんですね。何か問題が起こるとしても、機器トラブル等の障害で、とにかく暇だったんです」。
独立自尊をモットーにしてきた男は、暇な時間を安穏と過ごしてはいられない。そこで始めたのが、セキュリティホール探しだった。のちにWindowsやInternet Explorerなどの脆弱性を次々と発見して名を馳せる「伝説のバグハンター」誕生の瞬間である。
社内でも注目され、セキュリティホールに特化した研究開発部署の立ち上げ時に誘われた。さらにアメリカ事務所の設立時には、その駐在員にも選ばれた。
ところが、アメリカ勤務は、わずか半年で終りを迎える。
アメリカ事務所が設置されたのはバージニア州ワシントンDC。新井が借りたアパートの最寄り駅の名前は「ペンタゴンシティ」だった。
2001年9月11日の朝、歯を磨いていると、非常に大きな衝突音がした。ハイジャックされた旅客機が目と鼻の先にあるペンタゴンに突入した音であることは、事務所のテレビで初めて知った。
新井らは緊急帰国。「サイバーセキュリティという自分の専門性を、自分が生まれ育った国のためにもっと生かせないか。そう思い始めたきっかけが、この事件でした」